塩泉

 [塩泉の比重及び成分]塩化ソーダ 92.97・塩化石灰 3.81・塩化マグネシウム 0.33この塩泉は、伝説によれば建御名方命または弘法大師の発見と伝えられている。それほど古い時代から住民の間で利用されていた。興国年間、宗良親王が大河原に入村当時、塩水を山越しに御所平へ運んだ。明治8年旧徳島藩士、黒部銑次郎及び工藤欣八らが塩泉の採掘を始め、大がかりな製塩場を設置し、食塩製造を行っている。その後、明治24年、軍医総監松本順により塩泉が保健療養に効能があることがわかり、胃腸病・慢性諸疾患等医学的効用に利用され黒部らは翌25年に鉱泉浴場の営業を申請し、これが今日の塩湯鉱泉浴の始めとなった。その後幾多の労苦を経て、平瀬理太郎が黒部らの後継者となって日本でも数少ない塩泉として現在に至っている。